ニコマート(福客多便利商店)

目次

概要

後にサハダイヤモンドの代表取締役社長となる今野康裕によって1980年4月に設立、同6月に1号店を江東区にオープンさせる。

他社に先駆けてエリアフランチャイズ制度を導入し、また開業年数によるロイヤリティ制度を導入[1]、1992年10月には468店舗、年商88億4048万円を記録した。コンビニ事業の他にも、日本語学校の経営や雑誌「東京ジャーナル」の出版、外食チェーン「もっきんばーど」のチェーン化などを行っていた。もっきんばーどは1991年に買収、直営・フランチャイズ合わせ36店舗を展開(関 1993:110)。

しかし、独立系であり資本力が弱く、長崎屋[2]と提携はしたものの、その長崎屋も決してコンビニ業界に強い企業ではなかった。同社とは後に提携解除されている。

オフィス街を中心に展開していたため土日・深夜の売り上げが良くなかったこと、資金繰りが急速に悪化したこともあって、バブル崩壊直後の1993年に倒産(法的整理の終了は2000年)。負債総額は百数十億円にも上ると言われた[3]。

台湾へは1990年に創業者のコネクションで泰山集団と提携、福客多便利商店の名で展開していたが、4強にさらに遅れた5番目の営業規模でしかなく、2007年7月20日、全家便利商店に営業譲渡し、ブランドは完全に消滅することになった。

店舗展開

日本と台湾で展開していた。

日本

関 1993:39によると、1991年には475店舗を展開し、同年のサンクス(559店舗)、ミニストップ(368店舗)らとほぼ変わらない店舗数を持っていた。

関東地区以外では、地域ごとに本部となる企業に運営を任せ、看板とノウハウを提供する代わりに定額を毎月受け取る「エリアフランチャイズ方式」を導入。

エリアフランチャイズの一覧と、倒産後のエリアフランチャイズの動向は以下の通り。エリアフランチャイズは関 1993:91による。

台湾

上述の通り、福客多便利商店の名で展開していたが、業界5位の営業規模でしかなく、2000年時点の店舗数は302店舗であり、業界4位のOK超商(OKmart、608店舗)の半分以下でしかなかった[5]
2007年7月20日、全家便利商店に営業譲渡し、300数店舗のうち157店舗が転換(残りは閉店)[5]。ブランドは完全に消滅することになった。

脚注

  1. 日本の他のコンビニで例えるとしたら、コミュニティ・ストアと似た形態。同チェーンでは「ニューコンビニシステム」と称している。
  2. コンビニ事業としては他にサンクスも運営していた。バブル崩壊後経営状況が悪化し、1994年に株式を小野グループに売却(98年にはユニーへ売却)。長崎屋はサーベラス・キョウデンを経てドン・キホーテの子会社へ。
  3. 100店未満CVSチェーン 生き残りへ勝負 4* 多摩コンビニエンス(日本食糧新聞、1992年11月8日
  4. ニコマート倒産、多角化が裏目に出て行き詰まる、「継続取引きを」とベンダー会(日本食糧新聞、1993年6月30日)
  5. 菱宏、ニコマート加盟店再出発に際しオーナー会60店を支援 「コンビニックス」設立日本食糧新聞、1993年8月13日)

出典・外部リンク

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